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日別アーカイブ: 2009年2月7日

江戸の名残を求めて! ぶらり! パシャリ!

人形町界隈から

まずはここから始まる、地下鉄人形町駅                    

人形町003

人形町の人形焼屋さん【重盛】

人形町005_edited

安産祈願と子授けの神社【水天宮】


 

     

元吉原の大門につながっていたという”大門通り”
吉原といって、今の風俗のようなイメージを思い浮かべない…「花魁道中」「付け馬」など
華やかでそれでいてのんきで、お上公認という明るさが感じられます。
 
 
元吉原の名残を求め、大門通りを少し歩いてみたが立ち並ぶビルばかりで、
名残らしいものは見出せなかった!
バブル期の地上げで、ビルばかりになってしまったのか…?
そういう時勢を象徴するような【松嶋神社】を発見!
近代的なビルの1階部分の狭いスペースに真新しい鳥居、
お清め用の手洗い、
ご社殿、お札を売る売店と一通り組み込まれていた!散々地上げされた
都会ならではのミスマッチングな造形美を感じた。                                   

 


 

その昔、甘酒屋があったことから、そう呼ばれたと言われる【甘酒横丁】を歩いてみた。
横丁と呼ぶには、少し道幅も広いし、ビルばかりで
”横丁”のイメージとは少し異なるかな?


 地上げ攻勢に負けじと、頑張っているお店
                                                                       
  
  
㊤:明治40年創業の豆腐屋さん【双葉商店】「ジャンボがんも」「とうふプリン」等、
  普通の豆腐の他にアレンジ商品が…
㊥:せんべい【草加屋】結構人だかりがしてたので、「こわれせんべい」を買ってみた。
  一袋600円は、ちょっと高い?と思ったが、食べて納得しました…「これはうまい!」
㊦:「駄菓子屋さん」民家は少なく、子供の数も当然少ないこの近辺で、駄菓子屋を
  生業とすることはかなり無理があると思うが…我々みたいな物見遊山の人間が
  支えているのかも?
~生き残りをかけて、老舗の暖簾を守ろうと言う気概が感じられる横丁の商店でした!~
 


 

”江戸”を彷彿とさせるお店     

三味線屋さん【ばち英】辻を入った細い路地の二階から、小唄でも聴こえてきそうだ。

 

【岩井つづら店】そういわれれば、子供の頃、押入れや納戸にこういうつづらが
 あった事を思い出しました。
                                                        

  
”甘酒横丁”を隅田川に向かって歩くと、浜町公園にぶつかる。その左手に明治座がそびえる。

 
 

 

㊤:【明治座】この日の講演題目は欽ちゃんの「あらんはらんしらん」でした。
㊥:【しのだ寿司】
㊦:観劇弁等【関山】
明治座開演前には、、弁当を買い求めに、しのだ寿司さんや関山さんに寄っていくんでしょう!

 

   

 

㊤:甘酒横丁から、少し入ったところに「すき焼き」で有名な【今半】さんを見つけました。
  お品書きをを外に貼り出していた、ランチメニューのすき焼きが3,000円からおつりがくる程度!
㊥:甘酒横丁のいわれとなった甘酒屋さんはなくなったらしいが、甘酒は売っていた。
㊦:【玉ひで】さんの親子丼を食べるために並んでいる人人人…。(11時少し過ぎた頃)

一大イベントの昼食は、前もって蕎麦屋で熱燗に鴨せいろと決めていた。

お店も気取らない普通の蕎麦屋さん【松竹庵】さんにしました。

熱燗・そばがき・板わさで、ほっこりした後、鴨せいろ二枚で締めて、5,000円からおつりが来ました。


ほろ酔い気分で、人形町から人形町通りを北方向に歩いた。
途中で、道一本中に入ってみたら、「日本橋七福神のひとつ」と書かれた
【椙森神社】に出会えた。              

「大観音寺」のそばにはこんな古井戸が…「防災井戸」と書かれている。
その昔「は組」の 火消しが使ったのかもしれない!

人形町から小伝馬町へ

ここは、時代劇の捕物には、必ずと言って良いほど登場する「小伝馬町の牢屋敷」
跡だそうだ。江戸時代から明治八年まで、牢獄として長い間、使われてきた場所
である。たぶん、南町や北町奉行所の番屋で容疑者と判断されたら、
ここ(小伝馬町)送りとなり、遠島や斬首の刑が確定したのだろう。
この場所は、牢屋敷の中でも最も忌まわしい斬首刑場の跡であり、慰霊のために
「大安楽寺」を建立したとある。「大」は大倉喜八郎、「安」は安田善次郎が
寄進したことからの命名らしい。

     
 
小伝馬町の牢屋敷と言えば、井伊大老による「安政の大獄」で吉田松陰たち、
勤皇の志士が大量に斬首された場所としても名高い。
跡地の十思公園には吉田松陰の辞世の句がある。

牢屋敷跡からほんの少し、更に北に向かって歩いた!

【お玉ヶ池 種痘所】跡碑 普通のビルの壁面にこんな碑があった。
徳川初期には、本当にお玉ヶ池という大きな池が実在し、池のほとり
には文武の華が咲いたとある。
佐久間象山の象山書院や千葉周作の玄武館道場等、多数の塾や剣術、
柔術道場が集中していたようだ。また、東大医学部発祥の地でもある
ようだ。
【お玉稲荷】左の種痘所跡から更に1ブロック北に歩いて、左に少し入ると
お玉稲荷がちゃんとありました。
ここも、都会の史跡の例にもれず、民家の一画に、かろうじて最低限の
敷地を確保している。
ここの家の住人は、この史跡さえなければ、駐車場もできたし、われわれの
様な他人が家の前をウロウロすることもないのにと思っていることだろう…


お玉稲荷から更に北に歩く、町名が小伝馬町から岩本町に変わるあたり…
「ありました。ありました!」

 

江戸(幕末)三大道場のひとつ、千葉周作の玄武館道場跡地です。
なんと小学校の校門の中に【右文尚武】の碑があった。
最初は、近寄れないと思い、残念に思ったが、碑を見たい人は自由にお入りください
という、親切な掲示があったので、ありがたく、中まで入らせてもらった。
ここで、坂本竜馬、伊藤甲子太郎、藤堂平助、山南敬助、清川八郎、山岡鉄太郎達が
剣術修行に励んだかと思うと、隔世の感しきりであった。
この小学校も少子化の影響か、既に廃校になっており、校庭のみ残っており、校舎
もなかった。今は千代田区の管理地の様だが、もし民間に売られてしまうと、
ここもなくなってしまうかもしれない!

  
秋葉原を抜けて神田明神へ
岩本町のCoffee Shop でちょっと休憩して、万世橋を渡り、
オタクっぽい人種や土産あさりの外国人でごった返す
秋葉原を抜けたら「ホッ!」とした。
先に「明神下の平次でさぁ」の明神下を覗いて、神田明神を目指した!                       
  
  明神下のフグ料理屋さん:何となく柳の枝垂れ具合などが良かったので…
  
  
【明神男坂】
                   


 
神田明神-正式には【神田神社】というらしい。
 
 
 
境内に入って、びっくり!
正月も10日というのに、初詣かと思わんばかりに、参拝客がわんさかいた事。
                    

参拝の順番がやっと回ってきて、お参りを済ませ、ご社殿の裏手を迂回したら、
ありました「銭形平次」の記念碑、横に小さな「ガラッパチ」の碑もあったが、
あまりにも小さかった。

 

神田明神を出て、湯島聖堂(昌平坂学問所)ー聖橋ー御茶ノ水駅から帰途についた。
 

 


 
神田明神-正式には【神田神社】というらしい。
 
 
 
境内に入って、びっくり!
正月も10日というのに、初詣かと思わんばかりに、参拝客がわんさかいた事。
                    

参拝の順番がやっと回ってきて、お参りを済ませ、ご社殿の裏手を迂回したら、
ありました「銭形平次」の記念碑、横に小さな「ガラッパチ」の碑もあったが、
あまりにも小さかった。

 

神田明神を出て、湯島聖堂(昌平坂学問所)ー聖橋ー御茶ノ水駅から帰途についた。
 

 

 
 

 

 

 
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投稿者: : 2009年2月7日 投稿先 そば, 江戸