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月別アーカイブ: 5月 2009

江戸城の石垣を検証してきました!

まだ、東伊豆の石丁場のブログが完結していないけど、丁場を見た後の記憶が鮮明なうちに

江戸城の石垣を見てきたので、並行してブログにしたためます。

江戸城を構成する膨大な石垣のうち、東伊豆近辺から採石された築城石がどのくらい

使われたのか? 不明ですが、丹念に探せば痕跡ぐらい見つかるかも…

 

先ずは、土曜日の朝、少しお天気が心配だけど、暑過ぎるよりはいいだろうということで

折りたたみ傘を持って、10:00前に出発! 電車にて東京駅を目指す!!

東京駅に11:00頃到着!!! 江戸城に行く前にいくつか儀式をこなす!!!!

 

【儀式 其の一】

日本橋 「うさぎや」さんでどら焼きを所望。

 P1010200 P1010343

このどら焼きは、大きさは普通だが、やけに比重が大きく、ずしりと重い!

丁度いい甘さの半殺粒餡がたーっぷり入っていて、皮はふんわり柔らかく人気商品です!!

(190円/個)この後、家に帰るまでずーとこれを持ち歩くことになった!!! 

 

【儀式 其の二】

日本橋 室町 「紅葉川」さんで昼の食事。

 P1010219 P1010220

12:00少し前だったので、客は七分の入りで、待つことなく坐れた! 

P1010222

今日は電車なので、誰はばかることなくご酒(菊正宗)を先ず頂いた!

板わさとおしんこで二合徳利!!

P1010223 P1010224

いつものように、女房は天せいろ、オイラは鴨せいろを頂く!!!

ここの鴨は本当にうまい!!!! 締めて4,500円也。

 

【儀式 其の三】

日本の街道の始点、日本橋を確認。

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㊧日本国道路元標                     ㊨欄干の照明塔装飾

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㊧日本橋 ㊥橋銘:これは慶喜の筆?ではなく ㊨が慶喜の筆(向島百花園にあったもの)

 

【儀式 其の四】

史跡 常盤橋門址を訪ねる!

P1010242 P1010241

 

常盤橋パノラマ写真

この先にあった、常盤橋門は明治6年に撤去された、その常盤橋門址(常盤橋西詰)が常盤橋公園で、

当時の石垣が保存されている! この常盤橋も明治10年に、常盤橋門を壊した石垣材を流用して

架設したものらしい!! つまり、築城石でできている橋なのだ!!!

 

【行幸通り和田倉口から江戸城(皇居外苑)に入城】

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あるはあるは、夥しい数の築城石が目に飛び込んできた!

ここから、桜田門までの間でいくつか気になったマーク(紋)を撮影したので、写真を並べる!!

 P1010263 P1010268

㊧:「やっとこ」の形に見える ㊨:○に一文字のように見えるが不鮮明

 

 P1010266 P1010306

㊧:□の中に縦線と十字の様に見える ㊨:長方形の中に二本線と豚の鼻のような○の中に二本線

 

 P1010294 P1010298

㊧:○に近い□の中にVが二つ(二つ雁の変形?) ㊨:○の中は不鮮明

 

 P1010300 P1010303

㊧:この写真は望遠撮影で振れているが△の中に十字(福島正則?) ㊨:○と△

 

  P1010304 P1010301

㊧:○に十字(島津家の紋?) ㊨:T字?

 

 P1010305 P1010307

㊧:東伊豆で見慣れた分銅 ㊨:横分銅(出雲国松江藩主堀尾山城守?)

 

【二重橋と伏見櫓】

 

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【桜田門と桜田門外】

 

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安政七年(1860)三月三日、小雪舞う、朝五つ半(午前九時)過ぎの事。

彦根藩上屋敷(現憲政記念館)から、江戸城桜田門までの数百メートルの距離を、

彦根藩主で幕府の大老井伊直弼は大名駕籠に乗り、供侍一同と揃いの赤合羽に笠を被り足早に登城する。

登城行列がこの門に差し掛かろうとしたところに、水戸浪士の森五六郎が、訴状を差し出すような

素振りで、行列に近づいてくるなり、供侍二人を抜き打ちに斬り倒した。

刀に柄袋をしていた供侍たちは、抜刀する間もなく次々と斃された。

供目付の川西忠左衛門が孤軍奮闘し駕籠を護ったが、浪士四人に滅多突きにされ、こと切れる。

そこで、浪士の有村と佐野が直弼を駕籠から引きずり出し、首を打った。  ~ 桜田門外の変 ~

 

【半蔵門】

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甲州街道の起点に位置する半蔵門は往来が多いので、ここには高札場が設けられていた。

今は、その辺りに警備の警察官詰所がある。

本来の門は戦災で焼失したため、和田倉門から移築されたものらしい!

 

【桜田門外から桜田堀越しに国会議事堂を臨む】

P1010331

明治初期にこれと同じアングルで写した写真には、国会議事堂の代わりに井伊家の上屋敷が写っていた!

 

 P1010337 P1010338

桜田門前には米沢藩上杉家藩邸の碑とこの一画の当時の絵地図が…

 

【旧法務省本館】

P1010340

赤煉瓦作りの旧法務省の裏庭には、大岡越前屋敷の灯籠が保存されているらしいが、

通常の休日は開放していない! 平日か年2回の赤れんが祭りのとき見られるそうだ!!

 

このあと、日比谷公園を横切り、織田有楽斎が住んでいたことから、

有楽町という名がついたといわれるJR有楽町駅から帰途についた!

途中、横浜で中華の夕食をとり、拙宅着は19:30頃でした!!

 

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投稿者: : 2009年5月31日 投稿先 城址・城跡

 

江戸城の石垣材(築城石)の産出場を探しに、東伊豆へ!

今回の探索は、伊豆の史跡を紹介しているホームページ「下田街道」の作者である

「ねこ村さん」のご厚意をいただき、ほぼ一日かけてご案内いただいた内容を中心に編成します。

よって、以下のコメントは「ねこ村さん」の受け売りが大半であることを、

先にお断りしておきます。ねこ村さんありがとうございました!

 

休日の朝、頑張り、早起き、6:43a.m. 拙宅出発!

P1010012

 

自宅→(小田原厚木道路)→(真鶴道路)→(熱海ビーチライン)→R135→大川

到着時間は9:00a.m. Just on Time!

走行距離は約130km 平均速度は58km/h

初対面の「ねこ村」さんとR135沿いにあるローソンで待ち合わせ、

当然、お互いの人相風体を知らないのだが、一発で出会うことができました!!

簡単な挨拶をして、いざ400年前の採石場跡に出発!!!

 

大川湊パノラマ

最初に大川地区の「築城石」の積出湊を案内いただいた、

今もコンクリート製の堤防が見えるが、あの辺りに桟橋があったそうです!

船積みの際、うまく積載できずに海に落してしまった「築城石」もいくつか

沈んだままだそうですが、「落とした石」は「落城」につながるので

決して引揚げて使うことはしなかったそうです!!

潜水すれば、海底に「築城石」が見られるのかも!!!

 


P1010032

海岸線から少し山中(といっても、最初の写真で分かる通り、

このあたりは海抜0メートルから、いきなり切立った山がそびえるところが

珍しくなく、海と反対側に進むとすべて急な登りで山中となる)

に入ったところに、忽然と「ぼなき石」があった!

「ぼなき石」または「ぼやき石」:どういう理由でか、丁場から湊まで運ぶ

ソリ道(ねこ村さんは修羅道と言っていました)の途中に放置された「築城石」で

夕暮れになると泣くような声がすることから「暮泣き石」というそうです!!

なぜ泣いたか、なぜ放置されたか???はねこ村さんのHPを参照ください!!!

「下田街道」URL http://kodou.lolipop.jp/okawa-tikujou.htm

 

P1010034

後にも紹介する予定だが、こういう「家紋」や「しるし」の

刻まれた石があちこちに見られる!

この「ぼなき石」には「二つ雁」と呼ばれる紋(マーク)が刻まれていた!!

これは、福島正則の紋だそうです!!!

 

P1010030 

広い道が旧国道で、右上からの細い道が「修羅道」この道が旧国道に交差して…

P1010031

…この道につながる、海岸まで最短距離で直線的に下るため、かなりの急勾配!

もう少しで、海岸という所で「ぼなき石」は放棄された!!

(右側に薄暗く見えるのが「ぼなき石」)

このまま、海岸まで運ばれて、船積みされていたら、江戸城石垣の角石(すみいし)として

組み込まれていたかもしれないのに!!!

 


「ぼなき石」が鎮座している場所から徒にて5分ほど歩いて、昔はミカン畑だった

(今は雑木林)に案内してもらった!

ごろごろありました、箭穴(やあな)がくっきりと残っている石が…

 

 400年前の箭穴(やあな)が残る石が、ミカン畑の石垣に組み込まれている様子! 

 

 そこにもここにも探せばいくらでも見つかりそうでした!

 

ここの石に刻まれたマークは△の中に十字、これも福島正則のマークだそうです!

福島正則はキリスト教に理解があり、自らも信仰していたとのことで、十字架?

 


石切り場だったと思われる元ミカン畑の雑木林を後に、次は谷戸山に向かう!

写真中央が谷戸山!!

 

谷戸山へのアプローチ…ここも修羅道だったかもしれない!

路肩に雑草に溶け込んで、ひっそりと放棄されたと思われる築城石があった!!

 

 

谷戸山はかなり大規模な丁場であったようだ、山の斜面のあちこちに、巨岩が散在し、そのほとんどに

箭穴の痕跡が見られる…目を閉じて400年の時を遡ると、この場所で何百人もの石工や運搬夫が少数の

小普請役に監視されながら、立ち働いていた姿を想像してしまう…つらくて危険な仕事だったろう…

下の写真は軽自動車くらいの大きさの巨岩である、写真右の面から20箇所程の箭穴を入れるだけで

見事に断ち割っている状況が分かる。 

      

下の写真は2個目の箭穴の途中で放棄されている貴重な状態を観察できる。

タガネ状の道具ひとつで、長方形に縁取り、だんだんと深く削り込んで行ったようだ。

また、箭穴の左下から破線状の…が観察できるが、これは墨入れした箭穴のラインが消えても、

分かるようにケガキ線を破線で削り込んだものではないかと思う。

右下に見えるマークは分銅をかたどったもので、この辺一帯に散見された。

このマークは出雲国松江藩主堀尾山城守のものらしい。(ねこ村さんの調査結果を引用)

                                                                 

 

 この写真も、作業の途中が分かる資料。

真ん中の少し色が薄い石と右の少し色の濃い石は、元はひとつの石だったと思われる。

手前に縦に箭穴を穿った跡が見られ、二つに割った後、左側の石を引きずり出す途中で

何らかの理由で、作業が中断してしまったと思われる。

後世の人が調査のためか書いただろう「C1-16」?という文字も見える。

 

 

 この写真も面白い!

手前断面に分銅のマークが2つ刻印されており、上面縦に箭穴がある。

多分、この石は箭穴のラインで二つに分割するつもりだったことがうかがい知れる。

断面には既にクラックが入っていることから、簡単に割ることができたと思うが…

勝手な考察をすると、箭穴を削り込んでいる途中で予想していた断面と大きく異なる所に

クラックが入ってしまい、使えないと判断され、放棄されてしまったのか?

 

 これも作業途中である、右縦の箭穴のラインで割れば、ほぼ1尺×1尺×3尺の直方体になる。

 

 これも400年前に作業を中断したとは思えないくらいに、生々しくその状態を我々に伝えてくれる。

この箭穴の通りに切断されていれば、築城石として立派に江戸城の石垣のひとつを構成したはずだ!

 

 下の写真が谷戸山の丁場を少し引いて写したもの、かなりな急斜面で、岩がゴロゴロしている。

雑木は作業の邪魔になるのと、建築・運搬資材や燃料に重宝するので、伐採されていたと思うが、

地形は当時をほぼ留めているのではないだろうか…

 

 丁場に小さな沢が流れていた、この沢が当時ももしあったなら、

飲用、炊事用、洗濯用、水浴び用、洗浄用、打ち水用等々重宝したと思う。

ここで働く人達の飯場もこの沢の近くに設けられていたと思われる。 

 

 先ほどの丁場から少し離れた林道にありました。

「史跡 角石」と銘打たれた「谷戸山の角石」測ったわけではありませんが、

目測でおおよそ1m×1m×4m程度はあったと思います。

石の面には、平面度を出すために、タガネ状のもので削ったカッターマークが残っており、

400年間の風雪に耐えた侵食を考えれば、当時はかなりきちんとした直方体であったと

思われ、立派な製品です。何故ここに放置されたのか?は想像するしかないようです!

 

 


渡辺家の築城石

どうして個人宅の裏庭に築城石が?と一瞬考えたが、よく考えたら、その昔、築城石を湊まで

運ぶ途中、修羅道から落としてしまった! 一度落とした築城石は「落城」につながるので

縁起を担ぎ、拾い上げることはしなかった、よって崖下にその築城石は放置されたまま数百年の歳月が

流れた、つい最近になって渡辺さんが、宅地を造成してご自宅を建てたら、丁度裏庭にその築城石が

鎮座ましましていた! と考えれば、何の不思議もないと…

 

渡辺さんちの駐車場の裏口から、その築城石が見えるのです!

きれいな直方体をしています。
表面全体をはつって面粗度を上げている痕跡がよくわかる。
完成度の高い築城石(角石)と思います。

 

この石にも丸囲いの紋(マーク)があるのですが、残念ながら何のマークか判別できませんでした!

 

渡辺さんちの築城石のすぐそばに、橘の花が丁度満開でした…


ここで、大川を後に北川(ほっかわ)に向かった!

この写真の海岸が北川の築城石積出湊だったとのこと。

 

北川の駅には、こんな説明書きの高札があった。

 

北川の築城石公園

 

北川の築城石公園に展示されている築城石

 

日本最初の女性灯台守(萩原すげさん17歳)が37年間灯をともし続けた

稲取灯台(マントル式石油燃照手動点滅)

 

昼食は「徳造丸」という地元大手チェーンの海鮮料理屋でげんなり寿司をいただいた!

ねこ村さんに言わせると、本来のげんなり寿司とはだいぶ違い、観光用に改良されている

そうですが、おいしかったです! 下の写真は金目鯛の煮つけ、これも最高においしかった!!

 

稲取漁港のすぐそばに道祖神を祀った祠があった。

説明書き(下の写真)には、八百比丘尼(ヤオビクニ)についての言い伝えがあった!

海を見渡せる庁舎の一画に「鯆霊供養塔」があった、昔はこの沖合で

鯆(イルカ)の漁が大々的に行われたことを物語っている!

 

これは「もやい石」船のもやい綱を結びつけるための孔を穿っている。

稲取の「畳石」である、一畳よりはかなり大きい、この大きさの石が民家の玄関前に2基も鎮座している…

ランドマークとしても存在感あるし、ガードレールや門柱の代わりにもなっている。

薄くてあまりはっきりと読めないが「御進上 拾之内… 松平土佐守」と刻印されているらしい。

 

これは、稲取のさる神社にあった「日露戦争の戦没者の慰霊碑」であるが、

その礎石が、どうも築城石を流用したらしい!

このあたりには築城石があちこちに置かれたままになっており、

とにかく町並みを構成するひとつの要素として溶け込んでいるようだ!!

 

東伊豆から伊豆七島の見え方 

ねこ村さんが子供のころ遊んだ天草の干場(今はないが、当時はトロッコのレールを敷設されていたらしい)

(to be continued)

 
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投稿者: : 2009年5月25日 投稿先 城址・城跡