まだ、東伊豆の石丁場のブログが完結していないけど、丁場を見た後の記憶が鮮明なうちに
江戸城の石垣を見てきたので、並行してブログにしたためます。
江戸城を構成する膨大な石垣のうち、東伊豆近辺から採石された築城石がどのくらい
使われたのか? 不明ですが、丹念に探せば痕跡ぐらい見つかるかも…
先ずは、土曜日の朝、少しお天気が心配だけど、暑過ぎるよりはいいだろうということで
折りたたみ傘を持って、10:00前に出発! 電車にて東京駅を目指す!!
東京駅に11:00頃到着!!! 江戸城に行く前にいくつか儀式をこなす!!!!
【儀式 其の一】
日本橋 「うさぎや」さんでどら焼きを所望。
このどら焼きは、大きさは普通だが、やけに比重が大きく、ずしりと重い!
丁度いい甘さの半殺粒餡がたーっぷり入っていて、皮はふんわり柔らかく人気商品です!!
(190円/個)この後、家に帰るまでずーとこれを持ち歩くことになった!!!
【儀式 其の二】
日本橋 室町 「紅葉川」さんで昼の食事。
12:00少し前だったので、客は七分の入りで、待つことなく坐れた!
今日は電車なので、誰はばかることなくご酒(菊正宗)を先ず頂いた!
板わさとおしんこで二合徳利!!
いつものように、女房は天せいろ、オイラは鴨せいろを頂く!!!
ここの鴨は本当にうまい!!!! 締めて4,500円也。
【儀式 其の三】
日本の街道の始点、日本橋を確認。
㊧日本国道路元標 ㊨欄干の照明塔装飾
㊧日本橋 ㊥橋銘:これは慶喜の筆?ではなく ㊨が慶喜の筆(向島百花園にあったもの)
【儀式 其の四】
史跡 常盤橋門址を訪ねる!
この先にあった、常盤橋門は明治6年に撤去された、その常盤橋門址(常盤橋西詰)が常盤橋公園で、
当時の石垣が保存されている! この常盤橋も明治10年に、常盤橋門を壊した石垣材を流用して
架設したものらしい!! つまり、築城石でできている橋なのだ!!!
【行幸通り和田倉口から江戸城(皇居外苑)に入城】
あるはあるは、夥しい数の築城石が目に飛び込んできた!
ここから、桜田門までの間でいくつか気になったマーク(紋)を撮影したので、写真を並べる!!
㊧:「やっとこ」の形に見える ㊨:○に一文字のように見えるが不鮮明
㊧:□の中に縦線と十字の様に見える ㊨:長方形の中に二本線と豚の鼻のような○の中に二本線
㊧:○に近い□の中にVが二つ(二つ雁の変形?) ㊨:○の中は不鮮明
㊧:この写真は望遠撮影で振れているが△の中に十字(福島正則?) ㊨:○と△
㊧:○に十字(島津家の紋?) ㊨:T字?
㊧:東伊豆で見慣れた分銅 ㊨:横分銅(出雲国松江藩主堀尾山城守?)
【二重橋と伏見櫓】
【桜田門と桜田門外】
安政七年(1860)三月三日、小雪舞う、朝五つ半(午前九時)過ぎの事。
彦根藩上屋敷(現憲政記念館)から、江戸城桜田門までの数百メートルの距離を、
彦根藩主で幕府の大老井伊直弼は大名駕籠に乗り、供侍一同と揃いの赤合羽に笠を被り足早に登城する。
登城行列がこの門に差し掛かろうとしたところに、水戸浪士の森五六郎が、訴状を差し出すような
素振りで、行列に近づいてくるなり、供侍二人を抜き打ちに斬り倒した。
刀に柄袋をしていた供侍たちは、抜刀する間もなく次々と斃された。
供目付の川西忠左衛門が孤軍奮闘し駕籠を護ったが、浪士四人に滅多突きにされ、こと切れる。
そこで、浪士の有村と佐野が直弼を駕籠から引きずり出し、首を打った。 ~ 桜田門外の変 ~
【半蔵門】
甲州街道の起点に位置する半蔵門は往来が多いので、ここには高札場が設けられていた。
今は、その辺りに警備の警察官詰所がある。
本来の門は戦災で焼失したため、和田倉門から移築されたものらしい!
【桜田門外から桜田堀越しに国会議事堂を臨む】
明治初期にこれと同じアングルで写した写真には、国会議事堂の代わりに井伊家の上屋敷が写っていた!
桜田門前には米沢藩上杉家藩邸の碑とこの一画の当時の絵地図が…
【旧法務省本館】
赤煉瓦作りの旧法務省の裏庭には、大岡越前屋敷の灯籠が保存されているらしいが、
通常の休日は開放していない! 平日か年2回の赤れんが祭りのとき見られるそうだ!!
このあと、日比谷公園を横切り、織田有楽斎が住んでいたことから、
有楽町という名がついたといわれるJR有楽町駅から帰途についた!
途中、横浜で中華の夕食をとり、拙宅着は19:30頃でした!!
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