かっては港北区民であったにもかかわらず、同区の小机城址は未踏の地であった!
今日は頑張って電車利用で行ってみた。
電車利用の理由は、専用の駐車場がないこともあったが、
どうせ電車なら昼食を蕎麦屋で熱燗の誘惑も確かにあった!
朝9時過ぎに拙宅を出発し、JR横浜線の小机駅を目指す!
場所はここ(赤いプッシュピン)JR横浜線小机駅の改札を出て左側(余り人が行かない寂しい方)
出口で下りて、線路に平行・鴨居方面に歩いて10分弱で入口に到着する。
㊧駅前から小机城址の森を臨む(真中の小高い森)
㊨㊤入口の表示(これがなかったら入口が分からない) ㊨㊦入口の少し手前の案内板
㊧根小谷:根小屋の意味ではなかろうか?しかしそれにしては少し狭いか?
今はきれいなトイレになっている。
先ずは本丸を目指す、途中の高低差は空堀や切岸のような所を通るため結構きつい。
本丸につながる土橋(左右は結構深い空堀)
現状で空堀の幅は目測20m程度。
小机城の解説
本丸曲輪には、何故かブルーシートが敷かれていた。最近作られたものだが鏑木門。
解説の中に「調査実績が少ないので断定できません…」と断りがあるのが謙虚かつ異彩!
本丸から二の丸への土橋を堀底から撮影
この写真では分かりにくいが、本丸より二の丸の方がわずかに高いことから、
本丸・二の丸は自信のない解説とは逆なのかもしれない…。
二の丸曲輪 ここの解説にも「資料不足…断言できません」と
記載されているのが微笑ましい。
二の丸より一段下がった「腰曲輪」または「帯曲輪」
解説では「井楼跡」とあった。
解説三種
土橋 本丸と二の丸の間に空堀が2本ある、つまり2本の空堀の間は土塁である。
土塁の頂部は馬踏み状に広くなっており矢倉(櫓)があったということである。
写真は本丸とその馬踏みを結ぶ土橋。
二の丸に一輪だけ咲いていた…
㊧第三京浜で分断された所にある「富士仙元」 ㊨富士仙元の頂上にある石碑
ここは、現状の城址では一番高い所にあるので、物見櫓でもあったのかもしれない。
石碑には「富士仙元大菩薩」とある。文久年代(幕末)の作らしい。
【小机城址俯瞰写真】
第三京浜が堀切のように分断しているが、
右側の森が本丸、二の丸のある所で、左側の小高い所に富士仙元がある。
【オイラの勝手な考察】
住宅地にある城址としては、遺構が良く残っており一見の価値はある。
しかし、自信のない解説に現れているように、もう少し調査を行った上で
保存にも、もう少し費用を投じてほしい。
このままでは、いずれ踏み荒らされ風化してしまう危惧がある。
ただ、「市民の森」と銘打っているにもかかわらず、オイラが歩き回った
1時間余りの間、誰一人とも出会わなかった。
写真撮影の上では、人が居ないことは好都合であったが、
日曜日の日中に誰も訪れていない「市民の森」とはいったい何…?
【最後のお楽しみ】
小机駅付近の商店街の蕎麦屋で…と思って蕎麦屋を探したが、
残念ながら小机駅近くには蕎麦屋さんが一軒もありませんでした。
駅前の自転車屋のご主人に尋ねたら
「最後の一軒が一ヶ月前に店を閉じて、この辺には蕎麦屋がなくなってしまったよ!」
とのことで、写真の熱燗と天蕎麦は拙宅近くの「翁庵」で少し遅い昼食です。
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