天気も、気候も、紅葉も程良い晩秋の日曜日。
大山道の続きを歩くことにした。西行きは以前「咳止地蔵」までだったので
今日はそこから更に西に向かうが、いずれにしても伊勢原市内。
先ずは車で伊勢原図書館へ向かい、そこの駐車場に停めさせていただく。
図書館の駐車場からR246に出て、50m程秦野方面に向かうとこの交差点がある。
ここを右折し4~500m歩くと、「咳止地蔵」のある「市米橋」の交差点に出る。
そこからが今回のコースのスタート地点。
今回は「ホントに歩く大山街道」の地図11-3にかなり忠実に歩いた。
すでにここからでも大山はかなり近くに見える。 10:18a.m.
本日のスタート地点「市米橋」後ろに見える祠が咳止地蔵
川は芝桜で有名な「渋田川」の上流になる。
市米橋を渡ってすぐの小さな道を右折し、梨・葡萄・柿等の畑の中道を西に進むと
ここ「峰岸団地入口」の交差点に出る。更に真っすぐ、峰岸団地に突入する。
団地を抜けた所の一画に古い石碑が集められていた。
「道祖神」だけかろうじて読める。 10:50a.m.
東名高速の下をトンネル(厚木18)を通って潜り反対側に出る。
トンネルを出た所にある道祖神
道祖神の下のブロックは道標になっている。
「右 いゝやまみち 左 ひなたみち 七五三引村 明和九(1772)年」
本によると「七五三引」は「しめひき」と読むそうだ。 11:11a.m.
横に小川の流れる細い道を更に西に進む。
木の道標と「三所石橋造立供養塔」と書かれた石碑があった。
大山街道はこのまま真直ぐ行くのだが、ちょっと寄り道をした。
太田道灌縁の「洞昌院」
「洞昌院」入口の石碑
碑文は「不許葷酒入山門」(葷酒山門より入るを許さず)
「洞昌院」本殿
墓前には線香や花が手向けられており、死して500年以上経っているのに
まだ慕われている太田道灌という人物にあらためて敬服する。
”七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき”
太田道灌の七人の家臣の墓と三猿の庚申塔
七人塚の目の前が上糟谷神社 12:17p.m.
空堀跡、結構広い100m~150m程の幅がありそう。
この写真の左側が扇谷上杉の館
扇谷上杉の館跡といわれる台地に行ってみたが、何も残っていない。
解説の看板ひとつない。秦野-厚木を結ぶ道路の建設予定地となってしまった。
後で地元の人に聞いた話だが、この跡地は少し掘ると石畳が
敷かれているので、畑にしても作柄が余りよくないそうだ。 12:30p.m.
イチョウの紅葉がきれいな産業能率大学のキャンパスを右手に見て
寄り道から戻るため、南に進路変更した。 12:33p.m.
先程の上糟谷神社の表参道の所に出てきた。 12:47p.m.
大山街道に戻ったらすぐに、本で言う所の「#42 台の道標」があった。
道中、今日は昼食を食べる所はないだろうと覚悟していたが、大山街道沿いに
いきなり蕎麦屋さんが現れた。全くありそうにもない場所なので驚愕。
それも、月、火、水は定休日で営業日は11時から15時までしか開いていない。
今日は日曜日の1時であるので、暖簾はないが玄関から入店。
二人で天せいろを2枚頂きました。ごちそうさまでした!
そのまま大山街道を西に歩き、本日の目的地石倉橋に到着。1:48p.m.
古そうな道標や道祖神が並んでいる。
石倉橋からバスに乗って帰ってもいいと思っていたが、来るバスがすべて満員、
多分紅葉見物で大山に行った人が帰ってきているのだろうということで
来た道をまた徒歩で戻ることにした。
片道約3kmを戻り、伊勢原図書館に到着したのが2:40p.m.頃、
再び、停めておいた車に乗り帰途についた。
歩いた歩数は16,100歩でした。
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