久し振りに『大畠さんの石像ルート』を回ってみることにした。
天気は快晴、最高気温は15℃位か…
普通に歩いても汗をかかない程度の環境であり、快適な季節である。
ルートとしては計画通り以下のGPS-Log dataである。
距離にして約10km
小田急江ノ島線の長後駅西口からバスで泉区総合庁舎前で降りて
いずみ川に沿って南下、中和田南小学校辺りで西に向きを変え
境川手前を北上する、長後街道からバスで長後駅に戻る。
バスを降りて泉区総合庁舎東側の交差点を右折したら、
いくらも歩かない内に、いきなりこんな解説表示板がありました。
庚申塔もあるようです。 10:34a.m.
文字庚申塔 道標も兼ねている。
右大山道、左藤沢道、萬延元(1860)庚申十一月、泉中村
文字庚申供養塔
文化三(1806)寅天 三月吉日
蚕御霊神塔の側面にも「大山道」と指差があった。
最初に訪れたお寺「長福禅寺」 地名「いずみ」の謂れとなった史実の解説。
境内や本堂もとてもきれいなお寺でしたが、隣接する住職のご自宅?はもっと立派でした。
10:58a.m.
長福寺に隣接して須賀神社
きれいな水が流れる「いずみ川」です。この川を何度か渡りながら川筋に沿って歩きます。
「中之宮左馬神社」 11:16a.m.
以前も訪れた源氏ゆかりの「サバ」神社、「相模の七左馬」のひとつらしい。
左から庚申塔、文字庚申塔、「木食観正」布教記念碑、地神塔
「木食観正」布教記念碑は珍しいので大きく紹介する。
大畠さんの解説によれば、木の実だけを食べて修行した木食上人(もくじきしょうにん)の
一人木食観正の布教記念碑で観正直筆の梵字「ア」を石に彫ったもの。とあります。
下に三猿らしきものが陽刻されているので多分青面金剛像の庚申塔でしょう。
彫られた文字もほとんど浸食されて見えない状態でした。
三猿の拡大です。
文字庚申塔
こちらは陰刻された文字もハッキリ判読できます。
文久元(1861)年辛酉八月吉日
こちらは地神塔の裏面です。
隣の文字庚申塔と同じ日付です。
更にいずみ川を下ると宝心寺がありました。
門前にはこのような石碑が建っており石のローラーが回る仕組みになっています。
㊨大山道道標を兼ねた不動明王像、㊧三猿が各三面に陽刻された青面金剛像の庚申塔。
大畠さん解説によれば「庚申塔は元禄?不動明王は宝暦のもので、
岡津から長後への大山道近道を表した道標」とのこと。 11:41a.m.
以前本ブログで紹介した「舟地蔵」と同じく小舟に乗られた「岩船地蔵」
ご本堂に架かる「和泉山」の文字は先日訪れた増上寺の大僧正智堂書とある。
両脇には徳川家のご紋三つ葉葵
更に川沿いに進み「草木橋」を渡りそのまま東方向に100m程進むと
三差路のわずかな三角形の空き地に石像が集められていた。
五輪塔、道祖神、湯殿山供養塔等に混じって庚申塔もある。 11:55a.m.
地蔵型庚申塔
寛文十(1670)年庚戌(造立)明治三(1870)年庚午(補修)?
更に更にいずみ川を下ると古い橋と新しい橋が複雑に架かっている赤坂橋へ出る。
古い橋のたもとに赤い鳥居と祠がありそこに石像が幾つかあった。 12:22p.m.
ほとんど形を残していないが6手合掌青面金剛像の庚申塔でしょう。
かろうじて享和四(1804)甲子二月吉日と読める。
持物は錫杖、法輪、弓矢、天に日輪、月輪で邪鬼を踏んでいるようにも見える。
他の二体は寛政二年の双体道祖神と元治元年の道祖神か地蔵尊。
この赤坂橋を渡って、大きな道を横切って進路を南から西に変える。
思いがけず「アイス工房」なるものが出現。先ずは入ってみる。
予定外のカロリー補給をしたので、消費のためにハイピッチで歩く!
本日のコースの最南端、下飯田交差点近くの「東泉禅寺」に到着
ここも同じ境内に「琴平神社」が祀られており神仏混淆。
琴平神社境内に石像がまとめられていました。
庚申塔や湯殿月山羽黒山供養塔等など
ここからは進路が北寄りになり、引き返す方向になります。
路傍の林の中に一体だけ双体道祖神が祀られています。
田畑の中に突然現れましたおそばやさん。「坊ノ上なむいち」さん。
ここは確か以前通りかかったが「本日、売り切れのため閉店しました。」と断り書きが
出ていて、入れなかったお蕎麦屋さんです。→ 雨模様の藤沢散歩(2011.6/11)
今日はもう1時ですが、まだ売り切れではないようです。入ってみましょう!
内訳は、せいろ900円、天せいろ1,500円、燗酒一合450円、お新香100円、
つまみ3点セット200円で締めて3,150円+消費税=3,307円 1:00~1:40p.m.
前回は地元のおじさんが参拝に来ていて、サバ神社のことを教えてくれた所です。1:56p.m.
さらに北上を続けます。
そして、最後の立寄りポイント三柱神社です。
6手青面金剛像は陽刻が深くハッキリ残っている。享保七(1722)寅十一月吉日、
鶏、日輪月輪、邪鬼を踏みつけ、三猿従える。持物は宝剣、法輪、弓矢。
文字庚申塔はそれぞれ
文久元(1861)年酉年 此方かまくら道、此方大山道、相州上飯田下分。
天明貮(1782)壬十一月 相州○郡飯田村
少しだけ見覚えのある旧大山道を歩いて長後街道に出ました。 2:34p.m.
本来、ここからバスに乗るはずでしたが近くにバス停はなく、
そのまま長後駅まで歩いてしまいました。
長後駅に到着です。3:10p.m.
お疲れさまでした!
前後の歩きも入れると21,566歩でした。
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