昨年(2012年)の12/5から始めた綾瀬市の庚申塔再調査もやっと終わりが
見えてきた。今回で8回目となるが、逸失しているだろうと思われるものを
除いて今までの7回の調査で見落としたものを訪れてみた。
いくら小さな市とはいえ、見落とした場所が散在しているので、
徒歩で回るには時間がかかりすぎることから車で回ることにした。
当然駐車場も探さなければならず、ウォーキングにもならず、
はたまた途中で休憩してちょっとお酒をという訳にもいかないが、
調査の仕上げということで今回は例外扱いとした。
まず、全8回の調査で資料にある59基の庚申塔をいつ調査してブログの
どこに紹介しているかを整理してみた。
綾瀬市の庚申塔再調査-nのnを○囲いの数字にした。
上の表は資料#1~59まで個別にn番目の調査に入っていることを表す。
下の表はn毎の調査年月日をまとめた。
①→ 綾瀬市の庚申塔再調査-1
②→ 綾瀬市の庚申塔再調査-2
③→ 綾瀬市の庚申塔再調査-3
④→ 綾瀬市の庚申塔再調査-4
⑤→ 綾瀬市の庚申塔再調査-5
⑥→ 綾瀬市の庚申塔再調査-6
⑦→ 綾瀬市の庚申塔再調査-7
⑧→ このページ
本日の移動軌跡 カメラマークと赤丸の合計4箇所を巡った。
ほぼ、綾瀬市を一周した感じである。
最初は大和市福田の常泉寺に向かう。
ここは綾瀬市ではないが、資料#20本蓼川の庚申塔がこのお寺に移設されて
いるという情報を茶さんから頂いためである。
2年ほど前、常泉寺に行ったとき庚申塔があったのは記憶にあるが、
その内のどれかが#20であるのかも知れない。→ 2010.11/22 のブログリンク
常泉寺はこの辺りでは花の寺として知られている。
祠を作ってもらって大事に納められているこれがそうか?
この写真、祠の中にレンズを突っ込んで撮った写真をパノラマ処理して、
合成しているため、中ぶくれの紡錘形に見えるが実際は直方体である。
前面も半分隠された祠入りなので正面から全体の映像は撮影できない。
ただ、資料の写真にはない笠付きであるが、本体は紛れもなく#20だ。
運良く庭の手入れをされていたご住職とお話ができた。
お話を伺うとやはり間違いなさそうである、本蓼川の檀家のあるお方から
預かったものだそうだ。
笠については、預かった時からあったそうなので、
もともと別に保管されていたものかもしれない。
資料:#20 6手合掌青面金剛像庚申塔 三申
確認日:平成25年3月30日
所在地:大和市福田2176 常泉寺境内
屋根つきの祠に納められており損傷具合は資料と変わらない。
造立:享保五年庚子(1720)十一月吉日(右側面)資料による。
左側面:甲庚申供養 資料による。
次は、蓼川へ向かう。
蓼川と本蓼川は地名は似ているが実際はかなり離れている。
蓼川の上流と下流になるのか。
ここは以前も庚申塔を確認しているが、再確認ということであらためて訪れる。
蓼川神社前の北の台地区センターの駐車場に車を停めさせていただく。
神社拝殿の隣に立派な建物がありその中に納められている。 9:35a.m.
こういう保存環境なので、写真で見る限り資料と変わっていない。
資料:#21 6手合掌青面金剛像庚申塔 三申
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市蓼川2丁目12-42 蓼川神社境内
造立:正徳三癸巳年(1713)相州蓼川村 同□(右側面) 資料による。
左側面:九月十六日 拾□ 資料による。
ここから東名高速を渡ると直ぐに次の地蔵堂があるので、
車は地区センターに置かせていただいたまま徒歩で向かう。
環境はこんな感じで近場の石像を緊急避難的に集めた雨ざらしの放置状態。
資料:#18 6手合掌青面金剛像庚申塔 三申
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市大上8丁目23-35 大上ふれあいの家横の地蔵堂脇。
外観は雨ざらしなので全体的に侵食、剥離、割れが進んでいるようだ。
造立:寛政八丙辰(1796)十月吉日 きた 八王子道(右側面)
左側面:みなみ ふち沢(藤沢) にし 阿つき(厚木) 道
資料:#19 人型庚申塔 三申
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市大上8丁目23-35 大上ふれあいの家横の地蔵堂脇。
外観は雨ざらしなので全体的に侵食が進んでいるようだ。
造立:不明 右 ふじさわ道(右側面)
左側面:左 まちだ 八王し 道
正面:庚申供養 □□□□吉日 碑文はすべて資料より。
次は、見過ごした早川に向かう。
道路には面しているが、少し高いところにあるので前回は見逃したのだろう。
資料:#37 6手合掌青面金剛像庚申塔 三申
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市早川1722 路上ではなく民家敷地内壁の上
外観は雨ざらしによる侵食、剥離が進んで資料より分かりにくくなっている。
造立:寛保二壬戌(1742)天早川村(右側面)
左側面:霜月吉日 講中 十人
資料:#38 文字庚申塔
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市早川1722 路上ではなく民家敷地内壁の上
外観は雨ざらしによる白苔で資料より分かりにくくなっている。
造立:安政五戊午(1858)歳 十一月吉日建之(左側面)
右側面:霜月吉日 講中 十人
台座:講中
さて、最後の目的地に向かう。
資料:#47 文字庚申塔
確認日:平成25年3月30日
所在地:綾瀬市吉岡 1 春日道分岐点
外観は資料とあまり変わらない。
造立:文政□酉(1825)八月吉日 此方ふしさ□道(右側面)
文政年間で酉年は八年の乙酉だけ。
左側面:此方 江戸 なかみち
以上で発見できなかった2基の庚申塔を除いた57基の再確認が完了した
ことになる。引き続き、市役所等で残りの2基の消息を探すことにしたい。
#2:万延元年造立の文字庚申塔(綾瀬小学校交差点付近にあったはず)
#10:欠損した青面金剛像(深谷派出所前にあったはず)
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