♪ 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき ♪
作者は兼明親王の歌ですが、この歌にまつわる太田道灌と紅皿
(べにざら:二八あまりの賤の女:16歳前後の身分の賤しい娘)の逸話が、
その真偽は別にしてよくできている。
紅皿が太田道灌に山吹を(蓑の代わりに)手渡した場所の一つの候補地が
面影橋付近(昔から山吹の里と言われているらしい)ということで訪れてみた。
面影橋から神田川(川の水は結構きれいで大きな鯉や亀がいた)
都電荒川線の面影橋電停は目の前
倶梨伽羅不動庚申塔
寛文六丙午(1666) 江戸時代初期の倶梨伽羅大王(青面金剛の化身)の
庚申塔ですが、保存状態が素晴らしい。
墓地入口右正面に2体並ぶ三猿庚申塔
三猿の板碑庚申塔
元禄壬申(元禄五1692年)年
奉待念庚申一座(と読める)
延宝五丁巳歳(1677年)
庚申塔信心○ ○は読めず:雁垂の中にn
墓地に続く小径の両側にも庚申塔が並ぶ
笠付き三猿六臂青面金剛像
奉待念庚申○○二世安楽
寛文八○○五月廿二日
笠付き三猿(一面に一猿)文字庚申塔
延宝四丙辰天(1676年) 施主
奉建立庚申塔婆二世安楽
四月八日 敬白
笠なし(笠が紛失したのかも)三猿角柱庚申塔
はっきりしないが万治二己亥(1659年)と読めなくもないのでかなり古い。
目白不動からさらに南下したところにある南蔵院
ここにも庚申塔があったので紹介する。
馬頭観音(右2体)や地蔵と並んで庚申塔もいくつか見える。
笠付き三猿角柱文字庚申塔
延宝八(と見えるがだとすると庚申の年)
奉庚申○○○
仲冬(11月)二十二日
笠付き三猿六臂合掌青面金剛像
建供養青面金剛…
貞享三年丙寅(1686年)二月十六日…
三猿コマ型庚申塔
元禄二己巳(1689年)だろうか?
しかし、この辺の庚申塔はみな古い。
三猿青面金剛塔だったのだろうが欠損が激しい。
右側面に享保二十乙卯(1735年)年
台座には奉内
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