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藤沢村岡で寛文四の庚申塔を探す!(2019.3/9)

09 3月

かなり久し振りのアップロードです。

気候もだいぶ春めいてきて、明日から天気が下り坂とのことで

寛文四年の庚申塔があるという、藤沢に向かった。

北条氏の城「玉縄城」の出城だった村岡城址公園のある村岡にあるそうだ。

JR藤沢駅北口から大船行きの江ノ電バスに乗ってバス停の数にして

3-4個目の小塚下車、バス通りを少し進んで、ガストとガソリンスタンドがある

交差点「高谷」を左折して100mほど進んだ右側の一般住宅の一画に

突然のようにコンクリートブロックで囲われていた。

P1040657

一目で左側が青面金剛の庚申塔であることが分かるが、右の石碑は見馴れない。

P1040660

慧誉浄戒法子というように読めるので、どなたかの墓石かもしれない。

年代も嘉永四(1851)と読めるので、幕末の頃の慰霊碑がなぜ???

P1040658

合掌している手が欠けているとすると、

かなり珍しい8手合掌青面像の庚申塔ということになる。

合掌していなければ、一般的な6手青面金剛像だが、合掌していない場合は

大体不動明王みたいに剣を上に向けて持っているかショケラをぶら下げている

のが普通であるので、やはり8手合掌なのかもしれない。

それと、造立年月が表面に彫られていないのも珍しい。

表面には願主の名が彫られている。

その願主名がどうも右側の墓石の戒名(法名)に似ているのである。

○誉浄会○と読める。

年代であるが、どこかに寛文四年と彫られているはずと思い見渡したが

どこにもない、まさか裏面にと思ったら、これまた珍しく裏に彫られていました。

P1040662

享保十乙巳(1725)年十一月日

高谷村弥勒堂八王山○

三界万霊有○○○

彫られている内容も一般的な庚申塔とはだいぶ異色であると思う。

普通は「奉庚申供養塔」とか「二世安楽」というような文字が多いのだけど…?

横の墓石のような石碑との関係もよくわからない。

それと、寛文四年という年号はどこにもない、これもよくわからない。

ガセネタだったのか、オイラが違う庚申塔を見てきたのか…???

昼食は藤沢駅近くまで戻ってカルネドールさんでランチいただきました。

P1040698

ロースかつ定食980円だったかな?

肉厚で柔らかくておいしかったです。ごちそうさまでした。

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