綾瀬市の庚申塔については、このブログでコンプリートしていた筈であり、
現に綾瀬市教育委員会発行の文化財調査報告書 綾瀬の石造物(一)道祖神・
庚申塔に収められている庚申塔59本については、
綾瀬市の庚申塔再調査続編(2013.5/6)
で、#10を除く58本の確認調査を完了していた。
ここに来て、庚申塔に関するブロッガーの方から、綾瀬市に新しい庚申塔が
見つかったという貴重な情報を頂いたので、確認のため現地を訪れた。
① 上土棚中4-7-24藤沢市との境に近い袋小路の路傍
情報をくれた方の調査によれば、近くの新道のトンネル出口付近にあった
ものが工事のために、ここの地主の方が移設したのだとか…。
ひょっとしたら、以前あった場所は綾瀬市ではなく藤沢市だったので、
綾瀬市の記録には無かったのかもしれない…!あくまでも勝手な想像です。
公道か私道か分かりませんが、突然私有地の外壁で道路が行止りになります。
庚申塔を含む石像は突き当たり左の私有地内にありました。
左から「西 大山へ五里一丁三間 東 江戸へ十里三丁五間」と彫られた道標。大山詣で盛んな折に大山街道の一つに設置されたものかもしれない。
次の円柱に傘がかぶっているものは、「奉納御寶○諸願成就」と読めるので、
何等かの大願成就の石像と思われる。見馴れない字が多いが明和六年造立か?
その次は塞ノ神?
一番万年塀側が文字庚申塔。
上部に日輪月輪を頂いた文字庚申塔。
【左側面】十二月吉日
【右側面】文政七(1824)申年
② 次の綾瀬市早川の東名高速道路の下を交差する一般道にある庚申塔だが、
未確認だが教えていただいたものと、どうも異なるような気がする。
【教えていただいたもの】早川2911(地番)。東名アンダーパスの手前路傍。角柱「庚申塔」嘉永3年11月、道標とある。
【検討を付けて探し当てたもの】下の写真のものだが、どう探しても造立年月は
読み取れない。
文字庚申塔だが、塔の字が下半分台座に埋まっているように見える。
思うに、台座はもともとなかったか、あったが破損して塔の安定が
悪くなったので、セメントで円柱形の台座を作り、固まる前に
塔をめり込ませて建てたのではないだろうか?
塔の素材に比べて台座のそれはかなり新しく見える。
左側面はかなり浸食激しく、はっきり読める文字は「方」「國分」のみなので
道標も兼ねていたのかもしれない。造立年月は読めなかったので、
教えていただいたのと異なるのではないかという疑問が湧いてきた。
この庚申塔はこの地図の黄色いマーカーのあたりにあった。
グーストで調べると庚申塔かどうかまでは判別できないが、赤いマーカーの
所にも、何らかの石像がある。ひょっとして、それが教えていただいたものか?
これが赤いマーカー付近のグースト。
自分では確認していないが、角柱型の石像らしきものが写っている。
高架が東名高速で右が名古屋方面、左が東京方面、綾瀬市早川付近。
この石像が嘉永3年11月造立の庚申塔なら、オイラが見つけたものは?
1本東寄りのアンダーパス沿いにあったことになる。
これがそのグースト。かなり小さいので見にくいが、不法投棄らしき粗大ごみ
の手前に小さい石像が確認できる。この庚申塔も綾瀬市発行の報告書には
載っていなかったと思う。
先ずは、嘉永3年の庚申塔を確認する必要がある。
③ 最後に、何回か確認している早川1471にある「峰の地蔵」の台座に「庚」の
文字が確認できるので、地蔵の庚申塔ではないだろうかということでした。
この地蔵だと思うのだが、右側に文字庚申塔があるので、ここは確認済である。
よって、今日は地蔵の台座をつぶさに確認してみた。
献花を除けさせてもらって台座を見てみたが、
オイラには「庚」の文字が浮き出てこなかった。
正面でなく、側面かと思って見てみたが、やはり見えない。
祠入りなので裏面は見えない。
峯の地蔵の場所はここ。
④ おまけ
今回はコミュニティバスと歩きだけで移動したので、
歩数は18,000歩弱、時間は約6時間かかった。
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