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カテゴリー別アーカイブ: 故郷

子供の頃の思い出の場所あれこれ!(2013.10/12)

子供の頃に目に焼き付いている情景というものは、自分がいくつになっても

鮮明に脳裏に残っており、ふとしたことからその情景を思い出している…

ということはないだろうか?

オイラは「ある」。つい最近の何かを想像している時の場面が、

よく考えるととんでもない昔の記憶にある場所で、絶対ありえない

背景なのだが大昔の情景と最近の出来事がオーバーラップしているのだ。

そこで、今回他の用事があって訪れた故郷であったが、記憶を手繰りつつ

手当たり次第にシャッターを切ってみた。

オイラの故郷は大分県湯の町別府である。

そこで生まれ高校生まで育ったが、外に出てみて別府とは日本の他の町に

比べてかなり特異な町だということがわかった。

一口で言えば、当時は温泉宿、お土産屋、喫茶店、パチンコ屋、ストリップ小屋

が主な商店で、人種は旅館か商店の経営者か勤め人、遊び人が大半を占める。

工業関係(者)、大きな会社は皆無である。

そんな町を今昔取り混ぜてご紹介する。

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鉄道の玄関口別府駅前の油屋熊八像

別府温泉を一躍有名にした別府の偉人である。

当時(ここでいう当時とは約40年から50年前の事)はこの像はなかった。

50年より遡る昔はSLが走っており、勢いよく黒煙を吐き出すSLを見に

来ていた記憶がある。

DSCN3683

にぎわっていたアーケード商店街も既にシャッター通りを

通り越して、店舗の建物すらなくなり空き地や駐車場になっていた。

当時はアーケード街のにぎわいのある商店街であった。

夕方ともなれば、浴衣姿の観光客がそぞろ歩き、それを呼び止める本引き

はしゃいでいる酔っ払い等々で夜遅くまで人通りが絶えなかったのだが…

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その商店街で一軒だけ行列ができていた。

昼食時だったせいもあるだろうが、ランチを出す居酒屋だろう。

メニューを見ると海鮮丼が目玉だったが、特別安い感じではなかったので、

かなり新鮮でおいしいのだろう。

オイラは並んでまで食べようとは思わなかったので分かりませんが。

しかし、普通は行列は道路に沿って平行にできるもので、

道路を遮断するようにできる行列も珍しいでしょう?

如何に道路を通行する人が少ないかである。

現に、オイラは列の中に割入って通してもらった。

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別府温泉をTV番組等で紹介するときには必ずと言っていいほど登場する

「竹瓦温泉」である。

古くからの共同温泉であり、今でいうところのスーパー銭湯である。

残念ながら、オイラは入ったことがない。

地元の人間は大体自宅に温泉を引いていて、いくばくかの金が必要な

こういう共同温泉には、入る機会がないのである。

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竹瓦温泉の近くにある「波止場神社」

この神社が波止場神社という名前だったことを、この時初めて知った。

当時は「お宮で遊ぼう」というように言っていたと思う。

小学校の頃、同級生達とこの神社の境内でよく遊んだ。

化粧品屋の息子A君、クリーニング屋の息子K君、医者の息子O君とオイラ。

中でもA君、K君とオイラの3人は三ワルトリオで、

しょっちゅうつるんで遊んでいたと思う。

また、この辺は当時、観光客目当てのぼったくりバーや飲み屋やスナック等

たくさんあって、余り教育には良くなかったし治安も悪かったと思うが

子供には関係ない。今でもHなサロンがあって、昼間から客引きされた。

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この神社の境内で鬼ごっこ(当時は「おっかけっこ」と言っていた)等して

遊ぶのだが、この石柱でできた塀をトンボを切って下の道路に飛び降りる

のが、かっこ良かったのである。下の道路に車などめったに通らなかった

大昔の話であり、今考えると結構危ないことをやっていたものだ。

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ここは「海門寺公園」と呼んでいたオイラ達の遊び場だ。

レンガ造りのきれいなトイレができているが、当時はなかった。

丁度このトイレの中当りがホームベースで写真の右方向に向けて

野球好きのN君と良く三角野球をやった。

正面の大きな楠の木と縁台将棋を指すオヤジ達だけは

当時と変わっていない。写真右の方に円い池があり真ん中から噴水が

出ていたと思う。金網を張っただけの大きな鳥小屋や日本猿の檻や

「ユウランボク」と呼んでいた遊具等、一切なくなっていた。

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ここはほとんど変わっていない。石垣の塀も当時のまま。

写真の右半分は当時も暗渠で溝蓋の下は下水が流れていたと思う。

左半分は今はアスファルト舗装されているが、当時は未舗装。

未舗装の部分にいくつか小さな穴を穿ってビー玉の試合場だった。

また、イチジクゴマの試合場にもなった。

右側の舗装部分ではパッチン(一般的にいうところのメンコ)場となる。

この狭いエリアに悪がきどもが数人から十数人集まって、

技を競い、相手からせしめる賭場が開かれるわけである。

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ここはオイラの生家のすぐ近く。

写真右側の空き地は当時、風月荘という大きな旅館があった。

敷地を見るとそんなに大きな旅館ではないが、子供の頃はそう見えた。

ここの玄関先の庭でも遊びまくった記憶がある。

ただ、この旅館はかなり前に山手に移転したと聞いていたが、

未だに空き地のまま駐車場になっているみたいですね。

電柱の向こうの二階家は徳部燃料店で、未だにそのままある。

当時は電気冷蔵庫が普及しておらず、氷の塊を木製の金庫みたいなものに

入れて、その冷気で食べ物を冷やす冷蔵庫が一般的だった。

よって、夏はそれ用の氷を配達するのに、大きな塊から小分けする

必要があり、専用ののこぎりで氷を切り出すのだが、その作業が

面白くて、ずっと見ていた記憶がある。

その向こうに、竹細工の加工屋さんがいた。

庭にはイチジクの木が植わっており、夏にはイチジクが食べ放題だった。

その竹細工の作業も面白く、長い竹を小刀一本で縦方向に何本も裂いて素材を

作るのだが、手際が素晴らしかった。「パチッ」で割れ目を入れて、両手で

開くだけで、細竹がどんどんできるのである。

ちなみにオイラの生家は徳部燃料店の右隣である。

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外階段のあるブロック造りの2階家は共同浴場である。

ここには町内会費さえ納めていれば、ただで入れるので、何回か入浴した

ことがある。といっても、番台があるわけではないので不問であるが!

右の扉が女湯で左が男湯だが、脱衣場は木製の板壁で、至る所に

節穴があり、そこから女湯が覗けるので、色気づいた小学校の

高学年の頃、入りたくもない風呂に不純な動機で入浴した記憶がある。

当然、気配とざわめきでばれる訳で、女湯からも節穴に群がる目玉が見える。

建物左側の空き地は当時から空き地だったけど、

石垣と風呂の壁まで道路側に黒塗りの板壁があった。

その壁が、手裏剣の的にちょうど良かったので、空き缶をつぶして切り裂いて

作った手製の手裏剣を壁に投げて突き刺して遊んでいた。

結果、壁にダメージを与える訳で、大人に見つかると「こらーっこの悪がきども

が、何べんゆうてもわからんのか!」と木刀持って追いかけられるハメになる

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最後に、ここはオイラの生家に通じる通用口だったが、

何と雑草だらけであった。

いつの頃か、封鎖したのだろう?

ちなみに、当時はこの狭い路地が町会を分ける境になっていたのだ。

右が老松町、左が的ヶ浜町で、当時聞いた話だと、祖父を老松町に

含めたくて、強引にこの路地で町制区分したとか…?

以上、自分以外には全く面白くもおかしくもない紙面を割いてしまったが

閑話休題ということでご容赦願いたい。

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投稿者: : 2013年10月12日 投稿先 ぶらり!パシャリ!, 故郷, 旅行