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カテゴリー別アーカイブ: 海老名市史

非常事態宣言下に柏尾通大山道の一部を歩いてみた(2021.1/14)

隠居してやりたいと思っていた、旧道に残る石像物探し歩きを

やってみた。2021年の年明け早々、コロナ禍による緊急事態宣言

発令の中、一歩も外出しないという日が続いたので小さな気晴らしか!

ルート

ルートはこんな感じ。用田橋から渋谷神社までの片道3.4km。

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新しい公園があり、その片隅に不動明王を冠した大山道の道標や

馬頭観世音塔などが集められていた。

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出発してすぐの寺院、寿閑寺の梵鐘の由来

「蘇生延寿の鐘」というらしいです。

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三叉路の旧道らしい細い方に踏み込んだらすぐ道標があった。

どなたかが墨入れしてくれており文字が読みやすくなっている。

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弘化四(1847)未歳

相刕高座郡恩馬本郷邑

弘化四(1847)年と言えば、後6年すれば黒船来航といういわば幕末である。

大山詣では化政文化(1804~1829)の頃が盛んだったのではと勝手に

思っていたが、それから20年近くたった弘化4(1847)年に

道標を新造するほど未だ継続していたんだなと、またまた勝手に思う。

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更に進むと、立派な祠に収められた不動明王像と二十三夜塔があった。

不動明王像は光背や文字に色付けされており大事にされているのが分かる、

二十三夜塔はかなり破損しており、パテのようなもので修復されている。

しかし、文字にパテがかかっており、二十三夜塔と無理やり読める程度。

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左側面は「左 ほしの… ○○○」

強引に読むと「ほしの…→星谷寺」

「〇〇〇→玉多寺?王島寺????」

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更に進む、民家の片隅に祠入りの馬頭観世音

保存状態がすばらしい。

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居合坂と柏尾通り大山道の説明板が道路脇にあったが、この道路の道幅は

広くないのに、抜け道となっているのか時折通る車のスピードが半端ない。

写真を撮るのに、命がけだった。

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浄久寺に到着。

「長谷川氏墓石ずらりと浄久寺」

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これは見られなかった。

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ここまで来て、以前も来たような気がした。

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本日のゴール、渋谷神社。浄久寺とは隣り合わせ。

昼食は1km程戻り蕎麦屋さんで頂き、

再び戻って来て相模線の門沢橋駅から帰宅した。

総歩数:11,244

距離:7.0km

以上

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海老名の庚申塔(2017.9/9)

4年前にもなるが、海老名の庚申塔を探し始めた最初の訪問でいきなり

見つからなかった2基の庚申塔が見つかったとの情報を得たので早速行ってみた。

当時のページ→海老名の庚申塔探しーⅠ(2013.11/9)

地図

右上ポイントが4年前に資料をもとに探した場所で左下のポイントが

今回発見された場所(海老名市大谷南2丁目3)。

道のりで4km以上移動したことになります。

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いよいよ目的地です。

鳥居と祠があるちょっとした道路際のスペースに塞ノ神や

馬頭観世音碑と一緒に雑然と置かれていました。

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資料#54 文字庚申塔

塔は異体字で土偏に合の下に田

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㊨:萬延紀元庚申歳冬霜月(万延元(1860)年庚申の年冬11月)

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㊧:天下昇平 五宝皆熟

異体字や草書体を使うのが好きな石工または依頼主によるものだろう。

全体的に資料の作られた20年前と大きくは変わらない外観と思うので、

移動後はある程度大切に保管されていた可能性がある。

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資料#53 青面金剛像の庚申塔

6手合掌青面金剛像 三猿(一匹は剥離?)

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㊨:享保五(1720庚)子三月日 柏ヶ谷村 同行拾二人

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㊧:庚申供養 左大山道

こちらの外観は、資料の写真に比べ剥離が少し進んでいる。

ともかく同じ市内にあってよかった。

しかし誰がどういう目的で4-5kmも離れた場所に移動させたのでしょうか?

 

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