神奈川県内の大山街道で、歩いていないのは「二子新地から長津田の間」と
なった今、何とか今年中に神奈川県内の大山道は完歩しようと
今日は二子新地から西に向かって歩くことにした。
二子新地は東急田園都市線なので、以前も採った方法で
中央林間駅近くのコインパークに駐車して、電車で行くことにした。
二子新地の駅からすぐの所に「二子の渡し場入口」の表示がありました。
多摩川は目と鼻の先「ホントに歩く大山街道」(以下単に本と称す)によると、
ここから70m程上流に二子の渡しの船着き場があったらしいが、
現在は痕跡らしいものは残っていないとのこと。 10:43a.m.
「岡本かの子文学碑」
彼女の息子である、あの「岡本太郎」の作品
隣接する「二子神社」に祀っていた「庚申塔」
三猿の上に頭の長い青面金剛がいるタイプ。
側面には「干時延寶六(1678)戊午 天二月十五日」と記されている。
本によると、つい数年前までは大貫病院があったとのこと!
今は、いくつかの集合住宅に… 11:05a.m.
石川五右衛門釜ゆでの釜です。
この辺は大山街道に色つきの礫を混ぜた舗装がされている。
この先に、「二ヶ領用水」や「大山街道ふるさと館」等見所はあるが、
以前本ブログで紹介しているので、ここでは省略する。
何となく時代を感じさせる建物があちらこちらに残っている大山街道。
江戸時代からの薬屋さん「灰吹屋」
蔵は昭和35年まで店舗として使われていたらしい。
祠の扉は閉まってましたが、礼拝をして開けてみました。
再度、礼拝。 11:50a.m.
大山街道見所マップ
Lunch Time です。 手ごろな店が街道沿いに見当たらなかったので、
溝口駅ビルのレストラン街に行き、焼酎置いていそうな店を探した。
お新香をつまみに焼酎のお湯割りを頂く。
奥さんの食事は「小天丼」
オイラはランチメニューから「野菜天ぷら定食」 12:32p.m.
三猿は風化してほとんど判別できないが「庚申塔」である。
側面には道標も兼ねて「西大山道 東江戸道 文化三寅(1806)年」とある。
花もこまめに替えているようだし、掃除も行き届いているので、
何方かがきちんと面倒見る人がいるんでしょう。 1:10p.m.
本日の目的地である「ねもじり坂」に到着。名前の由来ははっきりしないらしい。
道路の色つき礫が青から赤に変わる変わり目。 1:20p.m.
ねもじり坂を登り切ったら、この地蔵堂があった。本によると「子供のいなかった夫婦が四国
八十八箇所の巡礼で願をかけた所、子供を授かったお礼に建てた。」と云われている。
大山街道を左に曲がると直ぐに東急梶ヶ谷駅に到着、
ここから電車に乗って帰途に付いた。 2:46p.m.
拙宅到着時までの歩数は11,569歩でした。
************************************