大畠さんのHPがinfoseekの都合だろうけど、見られなくなっていたが
先日FC2で復活しているのを発見しました!
早速、今回勝手に流用させてもらいました。ゴメンナサイ大畠さん!
復活HPもパワーアップして等尺の地図まで付いていました。
そして実際にオイラ達が歩いたGPSlogは…
⑧を除いて①~⑦まで確認できました。 では、最初から順を追って行きます。
JR逗子駅前から長井行きのバスに乗って子産石のバス停に降り立ったのが10:55a.m.
バス停の目の前の熊野神社に参拝。鳥居の横には庚申塔があるのを横目で確認済み。
拝殿に先ずはお参り。
拝殿の後ろはこんな景色です。ナイスビューです。
①鳥居の横にはこんな感じで雨露凌げます。
文字庚申塔 上には日輪月輪、下には三猿が浮彫りされている。
明治九(1876)年 知る限り一番新しい庚申塔だと思う。
6手合掌青面金剛像と思うが浸食甚だしい。下には三猿も居るようだ。
造立年月は不明。
庚申塔ではないのかもしれないが高僧らしきものが陽刻されており、
その下に「三界萬霊」と陰刻されている。造立は宝暦三(1753)年
ここから神社横の細い登り坂を垢抜けた住宅地の中を歩く。
少し不安になった頃、次の②に到着!道を誤ってはいなかったのだ!
②細い道路と道路に挟まれた一画の住宅地の角に寄せられていた。 11:14a.m.
6手合掌青面金剛像 三猿 寛政6(1794)寅
6手合掌青面金剛像 三猿 寛政九(1797)丁巳
6手青面金剛像 ショケラ、邪鬼 造立年代は不明
「大青面金剛」と刻まれた文字庚申塔 造立不明
6手青面金剛像 ショケラ 邪鬼 三猿 文政七(1824)年
青面金剛の風化に比べ邪鬼や三猿の下半分は風化が進んでいない。
青面金剛の足下は猿かと思ったが数が合わないので邪鬼と解釈した。
6手合掌青面金剛像 三猿 造立不明
6手合掌青面金剛像 三猿 文化七(1810)年
6手合掌青面金剛像 三猿 安政四(1857)年
6手合掌青面金剛像 三猿 元禄五壬申(1692)歳
6手青面金剛像 ショケラ 邪鬼 安永七(1778)年
ここにきて早くもWriterの動きがかったるくなってきた。
このパソコンの限界なのか? Writerの出来が悪いのか?
よく分からないが、作業がサクサク行かないので、
一旦ここで小分けしてアップします。
まだ、②/⑦なのに…
続きは第2部へ!