このブログもかなりご無沙汰していました。
大和市の庚申塚近くに行く用事があったので、昔の記憶を頼りに訪ねてみた。
庚申塚という交差点があるところから歩いて5-6分はかかる位、離れた所にある。
記録を確認すると2013年4月27日付のブログで紹介しているので、
かれこれ6年以上前からの再訪ということになる。
庚申塚交差点から歩いている途中、不安になる位離れている。
交差点方面は写真の右側になり、左側の道路とT字路で突き当たるようになる右角にある。写真には写っていないが、隣は多分地の方のだろう墓所がある。
左端が地神塔、その隣が祠に入った地蔵菩薩
その並びになるが、左から庚申塔が4基並び、最後のは道祖神と何となく読める。
右から2番目も前回の記録がなかったらほとんど読めないくらい白い苔に覆われている。
以下、塔の履歴については、すべて前回のブログからの転記。
笠付きの文字庚申塔、三申
正面碑文:奉納庚申供養 享保元丙申(1716)年十一月四日
三申の表情まで残っている。
笠付きの文字庚申塔。左右側面には蓮の花が陽刻されている。
正面碑文:庚申供養 寛文十二壬子天二月吉日(1672年)
帝釈天立像の庚申塔、三申とある。
正面碑文:奉納庚申供養 元禄十七(1704)年申二月吉日。
6年前より白苔の程度が激しくかつ曇りがちな天気ということのあり判別困難。
前回の記録より「梵字に続いて奉納… 元禄五壬申(1692)年の造立。」
道祖神の「道」と神の「申」がかろうじて見える程度。
この辺りも、まだ土地が余っている感はあるが、いつまで残るか?
隣の墓所が管理される限り、何とか持つかもしれない気がする。
三百数十年大切に残されてきたのだから、
わずか6年でこれだけ風化が進んでもよいものか…。
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