作家伊東潤先生後援会の「後北条氏歴史探究会」が主催するオフ会である。
我々は前回の「鉢形城」に続いて、2回目という新参者です。
折角伊豆まで行くならと、一泊の小旅行と決め込んで宿の予約も手配済み。
韮山集合は12:30p.m.なので、朝はかなりゆっくりでいいのだが、
寄り道しながら行こうということで拙宅を7:35a.m.出発!
東名高速厚木IC→沼津IC→伊豆縦貫道→R1→R136というルート
(伊豆縦貫道は快適な道路であったが、ちょっと遠回りだったかも)
ともかく、先ずは目的地に行ってみようと韮山直行で9:23a.m.現地着
拙宅からの走行距離:102.8km
同走行時間:1時間48分
時間はたっぷりあるので「源頼朝と北条政子」結ばれた地の蛭ヶ小島公園で暫しの休憩
小休止の後、韮山といえば「反射炉」を見なきゃぁと目と鼻の先の反射炉を目指す
お台場の大筒も幕末期の国産の大筒や砲弾はここで鋳造されていたらしい。
そろそろ昼時、近くの農協でイチゴ買って食べたり、蕎麦屋を探して走りまわったり…
そうこうしているうちに待ち合わせの時間となった。
ここからが本編【韮山城探索】
城池越しに韮山城を臨む
伊東先生曰く「山中城が一日と持たなかったのに対し、韮山城は攻守で4万対3千という兵力差が
ありながら三か月も持ちこたえたのは、城の周りが湿地帯であったから。」とのこと!
登城口の看板(地面に落ちてしまっていた)
早速、大手虎口から三の曲輪へ! 三の曲輪は今はテニスコートとなっている。
大手虎口がクランクしている所を撮ったつもりだが…
三の曲輪の西側一段下がった所にある「御屋敷」今は韮山高校になっている。
御屋敷という地名が残っているからには、当然四百数十年前、
ここに立派な御殿があって早雲が愛妾達と暮らしていたのだろう。
三の曲輪から権現曲輪と熊野社へ!
本城から見下ろした城下、正面は大きな富士だが雲に隠れてハッキリしない。
この日は春特有の風の強い日で、ここは見晴らしもいい代り風も一際強かった。
本城曲輪
塩蔵
土塁が高いので、解説では「煙硝蔵」だったのではないか?ということでした。
【天ヶ岳砦から土手和田砦へ】
この後、雑木や竹林の間を抜けて急な登り下りを経てやっと辿りついたのは…
本当に蟻地獄のような畝堀の遺構
見事な堀切
道端には、辺り一面土筆、土筆、土筆…誰も採らないんだにゃぁ~!
城池に忍び寄る夕暮れ
堀越御所の解説と守山登り口
時間的に遅かったので、発掘調査を終えて帰ろうとしていた、伊豆の国市の職員の方
(田中さん)に無理矢理お願いして、解説を頂いただけで、ここは解散となった。
さすが御所跡、広大な原っぱが残る
この後、オフ会は流れ解散となり、そのまま伊東市の宿に向かって東へ走る!
6:00p.m.には伊東市内の宿に到着!
ひと風呂浴びて、夕食は焼き物を中心とした海の幸と野菜を頂く!
明日は、ナコウ山の山歩き…
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